本田椋・担当回

何故かバンダナつけて再登場。そして、足元には雪駄。曰く「この世は舞台だ」。

ある実験についてのエピソードを例にあげながら問います、「猿と人間を分けるものとは何か?」。

曰く、猿と人間を分けるのは「人の立場になって考えることができる能力」。

陸前高田の復興商店街で入った寿司屋の大将にみた演じ分けと、立場を交換して舞台に立っている俳優との共通点。「〈演劇〉とは、立場を示していくことにあるのではないか?」。ここでメンバー全員で〈立場〉を考える作業へ。

動物なので今の状態で気持ちいいところがあるはず、その状態にもっていく。

「カラダは結構バカでエロくてワルい」

これは本田さんにとっての演劇、の三本柱のひとつだそうです。ところで安部公房の演技論には、強制的に腹筋を痙攣させることで気分的にも感情的にも笑いを生み出そうとするアプローチがあるのですが、本田さんの身体操作にも共通するものがありました。

意識、感覚、志向。 意識というスポットライトで、身体の感覚の可能性を絞っている。 感覚を、「心地よい」をキーワードに広げつつ、「どの方向に進みたいのか」を強く持つ。 個人、が強く浮き出るように、立つ。 人間であること。演劇であること。を、考える時間に。

「相手の立場になる-立場もワークは、意識的作業から身体をほぐす感覚的な作業へと移行していく。 意識的にリストアップした社会的な立場と、ほぐれた身体における感覚的立場の融合。 立場の入れ替えとリラックスした身体がもたらす効果。 観客的視点と演者的視点が交錯する時間でした。」(牧くん)

最後は暗がりと音楽のなか、メンバーは受け渡された要素を組み合わせながら自由に動くことをやりました。そういえば、途中でピナ・バウシュの舞台が持つ平等性について触れており、自分と他者それぞれの関係の公平さへの志向が、本田さんの〈演劇〉の根底にあり、それは身体感覚においても同様のようです。

以下は小濱さんの雑感。

「「人間である」ことを探りながら同時に「演劇」を探していく。 「自分」と「他者」の立場を入れ替えることができるのが、人間ではないか。

意識、論理的思考を持つ自分。

感覚、身体感覚、としてのわたし。

思考、願いの持つ指向性。どこへ、向かうのか。

普段、日常生活を送るために、私たちは意識というスポットライトで、身体の感覚の可能性を絞っている。その感覚を、「心地よい」をキーワードに広げつつ、「どの方向に進みたいのか」を強く持つ。

「心地よい」「こうしたい」を根拠に俳優たちが動くことで、「個人」、が強く浮き立ってくる。また、強く浮き立ってきた「個人」を観て、何があれば、出会うことができるようになるのか。人間が、出会うとは、どういうことなのか。」


【本田 椋 Ryo Honda】

1990年生まれ。新潟県長岡市出身。劇団 短距離男道ミサイル所属、俳優。 東北大学在学中に演劇部に所属し舞台活動をはじめる。2012年より劇団 短距離男道ミサイルに所属。同劇団にて2017年『母さん、たぶん俺ら、人間失格だわ〜』にて、CoRich 舞台芸術まつり!2017春 グランプリ受賞。コトリ会議、飯田茂実演出作品など外部出演作多数。利賀演劇人コンクール2019『桜の園』(中村大地 演出)にて、俳優として史上二人目となる奨励賞を受賞