まえがき

滞在6日目にクローズドで行われた中間シェアと、最終日となる7日目に、観客を招くかたちで行われた公開シェアの記録チーム(飛田、宮﨑)によるレポートです。


宮﨑莉々香のレポート

◯中間シェア

協力する宮﨑が、前田に質問する

協力する宮﨑が、前田に質問する

はじめに中間シェアで行われたことについて書きたい。

(前提)前田の声は仲介人づてに観客(4人の俳優たち)に伝えられる。

→仲介人、4人にくじを引かせる

→くじで1人選ばれる

→仲介人、その1人に前田からの台本(数字が書かれている)を渡す

→その1人は上演を行う

→時折、前田はその1人が数字の上演を行っている途中で、「ストップ」と言い、時間が止まる。

前田は〈ゆるやかな演出〉を試みていたのではないかという仮説を立てる。担当回では二時間という〈ゆるやかな〉時間の堆積が、前田自身の「わたしとは何か」という問いを、演劇的な表現で現前させることを可能にした。俳優としてのセリフと自身の言葉の境界が曖昧になっていく感覚、鏡に見えている自分と鏡を見ている自分の相違。担当回の後半では、他の俳優を指示し、演出めいた行為を行っていたが、これは、演出するという側面への興味が伺えた中間シェアにつながっているのではないか。 自身の身体が直接的に関与するのではなく、指示した言葉が仲介者によって伝達され、仲介者によって、他者が動かされる状態が目指されていた。前田が直接関わることのない演出、仲介者の存在が、その〈ゆるやかさ〉を生み出していたのではないか。「演出とはなにか」、演出するという行為には指示するという堅苦しさの反面に、〈ゆるやかさ〉が存在するのではないか、という問いが前田から、投げかけられた。

また、ここでの数字とは、生きている時間についての数だと言う。ストップと言うのは前田の加減であった。

◯公開シェア

舞台を歩く前田

舞台を歩く前田

(1)公開シェアの流れ

使用した場所は劇場。はじめに、観客は劇場の窓から外にいる前田(とその後ろ通る通行人)を発見する。舞台中央に現れ、数字のカウントをはじめる。三〇からゼロまでの数字が声でカウントされていき、時折、目や耳、のど、肩を自分の手で押さえる行為が挟まれる。感じられるものを遮るようにして、感覚をつかまえようとしているように見える。数字を数え終わると、ゆっくり前へと歩き出し、観客に向かって「こんにちは、元気ですか」とささやくように声をかける。舞台の淵を歩き、一周しようとするも途中で落ちてしまい、前田は舞台からいなくなる。再び、現れ、私にとっての演劇とはなにかを語りはじめた。

(2)何が目指されていたのか

中間シェアでの前田の問いは「演出とはなにか」というものであった。どこから演出になるのかの問いは公開シェアにもつながっているものの、大きな違いは、前田自身が登場する(前田自身しか登場しない)ことだ。自己や空間を自身で演出しながら、演出をしているとは言えない俳優(自分自身)の状態が同居する、演出する⇔される、の、その可能性、あわい、を前田は実感として確かめようとしていたのではないか。 * 「身体によって演出される」・・・例えば、声を出しながら「手で」喉を押さえる、物を見ようとしながら「手で」視覚を遮る行為は、自身の身体を使って「なにか」を発生させることと同時に、その行為を制限する身体を持ちあわせている。 * 「環境・空間によって演出される」・・・例えば、外に出ることで、外と内の関係が生まれる。この時の前田の身体は外、内という環境によって演出されていると言えないだろうか。 * 「観客の存在によって演出される」・・・例えば、観客に見られている中でも、舞台の境界をまたぐことによって、観客と同化する行為を前田はおこなった。観客と演じ手、見る⇔見られる、の関係性を飛び越えていった。

これらに挙げたような、曖昧な境界の中に前田という人間がいるのではないか。前田は演劇的な制約(御法度とも言うべきか)を〈ゆるやかに〉超えていく。

前田にとっての演劇とは「自身が曖昧になること」なのではないか。演出する⇔される、以外にもさまざまな対となるようなレイヤーを重ねつづけていくことで、そのレイヤーを問いとして、中間をつかもうとする。ここにどうにも「俳優」を見てしまう私もいる。自身が曖昧になりながら、なにかを掴んだり、演じていく俳優の姿、私にとっての演劇とは何かを語り、演出していく姿が目の前に広がっていた。

(3)私にとっての演劇とはなにか

以下、前田の言葉を引用する。

“私にとっての演劇とはやってこれる場所のことでした。見てもらえる、見ることができる、いつかなにかをやれる場所のことでした。俳優としては時間を引き伸ばしたり、(中略)その後をきったり、戻って進めたり、その時間を引き続けて、生きていたりする時間の駆け引きのことを考えています。とは言っても、役の駆け引きとは別に、やっぱり、ここはやってこれる自由な場所でもあります。こういうことを演劇の出発点として考えています。”

前田にとっての演劇はやって来られた場所のことだと語られた。これは、舞台の上で身体が制限されたり、舞台からいなくなることが演出されてもなお、最後に、舞台に立って語られた言葉だ。劇場で、自分にとっての演劇を語ることが、前田にとっての俳優としての覚悟のようなものだったのかもしれない。(宮﨑)


飛田ニケのレポート

○中間シェア

後ろ手にくじを持ち、おそるおそる前に出てくる前田

後ろ手にくじを持ち、おそるおそる前に出てくる前田

前田が、中間シェアで試みたことには、〈Ship〉で得た彼女自身の問いが、ごくシンプルに抽出されていたと言っていいだろう。まず記録チームに手伝いを頼み、用意されていたくじを〈Ship〉参加俳優に引かせる。そこでランダムに選ばれた俳優(ここでは寺越が選ばれた)は、用意されていた「台本」を遂行する。「台本」には、いくつかの指示のようなものが書かれていたらしいのだが、読み解くのが難しかったらしく、実際には前田が、演出家のように補助をしていた。寺越が、自身の年齢をさかのぼるようにカウントダウンしていき、その途上で前田が「ストップ」と言ったら、寺越は、中断された年齢のときの自身のことを、想起する。これが0に至るまで続けられるが、寺越は、徐々に「慣れてきたら」、この指示に抗うことが許されている。

俳優が制約にたいして適応しようとするときの没頭を、「台本」によって時間として引き出しながら、それによって生まれる、日常とはべつの質を持った空間。ここであえて俳優ではなく演出家の立場を自身に課すことで、前田がクリアにしようとしていたのは、「私は演劇に何を求めているのか」という問いであっただろう。それはこう言い換えられる。「舞台が、その外に向かって、誘うものとはなにか」。

○公開シェア

窓の外からこちらをうかがう前田

窓の外からこちらをうかがう前田

公開シェアで、前田は、劇場空間を用いた。地明かり程度の照明とはいえ、劇場機構を用いての、上演作品といって差し障りのない時間だったといえる。つけ加えるなら、上演作品という言葉で、その時間の質を測りたいわけではなく、シアターという制度の内に企てられていたことを指して、上演作品という言葉を用いたことに留意して欲しい。というのも、前田が俳優としてパフォームするとき、良くも悪くも、シアターの枠内で行われることは、自明とされているからだ。彼女の発表は、その成立要件を問い直すようなものであったと言える。

まず鹿島の挨拶が終わると、その背後にある縦長の窓に、前田が現れる。そこから観客をじっと見ていたあと、ふいに立ち去り、客席後ろの扉から劇場内に入り、平台で組まれた舞台のうえに立つ。

中間シェアでは、演出家という立場に身を置いていた前田だが、ここでは俳優として、舞台に立つ。そのうえで、観客の視線を引き受けることを担保にして、舞台というトポスを、身体を用いて変容させる。それによって見えてくるのは、まなざしの往還であり、演劇を担保するまなざしの往還を可視化することによって、今度はそれを、俳優の側から掻き乱していく。

中間シェアと同じく、自ら自分の年齢をさかのぼるようにカウントし、「ストップ」という指示に従って、その年齢のときの自分自身を想起するという行為のなかで、身体に劇をはらませる。それは、パフォーマンスとしての強度によって、まなざしを強く喚起させる(たとえ、カウントされているものが彼女自身の年齢であることや、「ストップ」という指示によって彼女がなにをしているのかを、観客は知らなくとも)。

つぎに、前田は、思い出の想起を保持しながら、観客の方へゆっくりと近づいていく。劇を保持したまま、ゆっくりと距離を詰めることで、徐々に、強度がそれ自体として観客に伝わるようになる。彼女に集中していたまなざしが、物理的な近さによって、照り返すように、観客たちにまなざしの強度を思わせる(たとえば、そのとき恥じらいのような感情をともなっていただろう)。

舞台(平台)のきわまで、前田が着くと、素足できわを捉えつつ観客に「こんにちわ」「元気ですか」と挨拶し始める。明確に対象化された発話であるために、ここでは、観客のまなざしが、ほどけるように拡散してしまう。つまり、前田だけではなく、そこでやりとりする観客も、まなざしの対象とされてしまうために、劇の中心がぼやけてしまう。まなざしの強度も、弛緩する。

そこからきわを沿うように、前田は歩いていくのだが、ゆらゆらと重心は安定せず、ぎこちなさを伴っている。さきほど弛緩したまなざしは、この不安定な運動によって、空間をさまよい出す。 前田の身体は、もはや見られることを受け止めるようには、そこにはない。物理的には近いはずなのに、同じ空間にいないようにさえ感じられるほど遠い。意味の希薄な身体は、運動へ漸近し、ただむやみにひろい空間に伝わっているようにさえ見える。

そして前田は、舞台の暗がりから、はじめに入ってきた扉へ向かい、そのまま劇場の外へ出て、もういちど、窓の外からこちらをうかがう。ひっそりと行われているはずの上演は、つねに外の通りからのぞかれている(現に往来のひとや車が気になった観客もいたようだ)。観客と同じ空間で、演劇を立ち上げていたはずの俳優が、空間の外からまなざす姿は、まなざすだけで満ち足りようとする観客を拒んでいるように見える(そのことにはっと気づかされる)。しばらくして、べつの入口から劇場内に入ってきたところで、ふたたび、「おはよう」「こんにちは」と観客に挨拶し、じぶんにとっての演劇、そして俳優としてなにをしていたのかを説明し、前田の時間は終わった。

上演のプロセスを追うことで、俳優である前田にとっての演劇がみえてくる。「まなざし」は、演劇にとって自明である。しかし、それを自明なものとして無視すれば、観客と俳優のあいだにあるべき他者性は、霧散してしまう。「舞台が、その外に向かって、誘うものとはなにか」とは、「まなざし」を問題化してはじめて意味を持つ問いである。俳優は、観客の「まなざし」を、いざなって、主体的に使う。俳優はときとして、暴力性をともなうような他者であることさえ選ぶ必要が生じるだろう。そのような──まなざしの往還よりもっと倫理的な──いざない-いざなわれる関係性においてあらわれる他者性をあつかうこと。彼女が最後に話した「私にとっての演劇は、やって来れる場所のことでした。見てもらえる、見ることができる、いつかなにかをやれる場所のことでした。」というのは、俳優と観客の双方にとって、この関係性が成立している場所のことだろう。そして、誰にとっても「いつかなにかをやれる場所」を、生み出すことが、前田にとっての演劇-行為だと言えるだろう。


【前田 愛美 Manami Maeda】

1987年生まれ。福井県出身。俳優。立命館大学文学部卒。大学で演劇を始め、2009〜2011年まで同志との劇団、tabula=rasaに参加。『ハムレットマシーン』や前田のmixiを使った作品に出演した。劇団終了後、現在までフリー。京都や大阪にいる人と多く作品を作った。時々東京にも行った。2013年から自作品も作る。『対人関係について』『シオガマ』『正常を見つける』『NO MANAMI』など。2020年、個人サイト「総合住宅まなみ」をOPENした。私から離れた作品さんの生を生きてほしいと、「作品さん.com」も製作予定。