キサラカツユキの言葉

仙台に戻って約1ヶ月が経った。あの1週間について書いてみようと思う。

初日はまず、ガチガチの緊張から始まった。劇場への入り方が分からずに右往左往していると、最初にやってきたのは記録チームの飛田(とびた)さんだった。「ひだ」さんと名前を間違え、一発目から失敗したなと思った事を憶えている。

皆が集合するのを待つ間も、ずっと落ち着かなかった。自分の担当時間も控えている上に、集まってくる人達は初対面。不安で一杯であった。全員が集合し、注意事項の説明を受けている間も状況は変わらずであった。緊張そのままに「自分にとっての演劇とはなにか」という担当時間を迎える事になった。

無論このテーマについて、以前にも多少は考えてみた事があったと思う。しかし今回違っていたのは、2時間という持ち時間の為の準備であったという点である。恥ずかしながら、こんなに真剣に考えた事は無かった。過去の蓄積が無かった故に、昔を思い出す作業をする事にした。その折々の自分にとって演劇はどんなものだったか考える為だった。良くも悪くも封印されている記憶というのはあるらしく、そのフタが外れて記憶が蘇るという感覚を初めて味わった。

そして担当時間の実施である。別にレポートが上がっているので実施内容の詳細については割愛するが、私はとても困る事になった。緊張と焦りの為か、ある程度用意していた内容を、あっさりと終えてしまった。もともと時間は余ると思っていたが、予測よりもかなり早く終わってしまった。気付くと私は、準備段階で思い出した過去の出来事、当時の感情について話をしていた。

初対面の人達の前で、自分はこんな事を話して、悩んでいる姿を見せるのか、と意外に思った。そして、悩むのが演劇なのかという言葉、これは準備していた訳ではなく、あの場で生まれた。実際に悩んでいたから生まれた言葉だと思う。それを自分が、そのまま口から発している事もまた意外であった。

準備段階からテーマに向き合った事で、今まで味わった事の無い感覚・自分の新たな一面を発見できた。その点において、とても良かったと思う。

一方で他の滞在メンバーの実施内容を見て、やはり自分は自分なのだと思わされる点も有った。他の3人は私とは異なり、見ている人間が参加する事が前提になるプログラムを組んでいた。他者に向けて開かれている内容だった。

2日目の午後、伊勢佐木町の街中に散って滞在メンバー同士一対一で話をした。

依田さんの言葉の中では、

というような内容の2つが特に印象的であった。

1つ目はどんな人にも楽しんでもらえる作品を作るという作り手側の気概のみならず、観客がどんな楽しみ方をするのも自由というニュアンスを含んでいた事が新鮮であった為。

2つ目については、この言葉を聞いてから自分と観客の間にある何かを感じられるようになった気がする為である。無論この感覚については、今後も実践の中で確かめていく必要があるが。

牧さんと会話する中で気付かされた事があった。

何を楽しいと思うか、何を良かったと思うかの違い。厳密には牧さんではなくて私の言葉だが、彼との会話のおかげで引き出されたものなので挙げておく。

小林さんの言葉の中では、

が印象的であった。強さ・揺ぎ無さみたいなものを感じる言葉であった。こういう言葉に触れると、フラフラした私はどうしても劣等感のようなものを持ってしまう。強者への憧れみたいなものを感じた。

話をすればする程、3人共が自分の芯になるものを確かに持っているのだな、凄いなと思わされた時間であった。

余談ではあるが依田さんと話した際、トップバッターであるせいか、私の表情・喋り等が非常に硬くなってしまい、余計な緊張を与えていたのではないかと、未だに申し訳なく思っている。

3・4日目は今回、最も大変だったと言っても過言ではない。何よりも「キキフク」について話さなければならないが、まずはそれぞれのWSについて。

飛田さん・宮﨑さんの担当回。あれだけ何もしないでゴロゴロしている時間なんて滅多にないので、それだけでも新鮮。問答の中で出てきた、自分の事を気にしすぎという言葉はまさに翌日の、表参道での私に向けられたものであった。

坂東さん担当回。鏡に遊ばれてしまう楽しみ。主導権をどちらが握っているか分からない状態、握られている状態もまた楽しい。芝居において、他人に委ねるという瞬間がもっとあっても良いのかもしれない、そう思えた。

また、憧れている相手の優れた一面のみに注目してしまうと、その人も一人の普通の人間である事を忘れてしまいがちになる、という言葉が心に残っている。自分にも思い当たる節があった。果たして私は周囲の人間としっかり向き合って来たのか、問い直してみる契機となった。

日下さん担当回。服は理由があって現在の形になっているという言葉。当たり前の事のように思えるが、私にとっては大きな気付きだった。他の分野、例えば歴史において、某事件が起きた背景には色々な原因があって必然的にこうなった、という文脈は受け入れられやすいと思う。しかし分野が違うだけで、同じ内容の事を言っているはずなのに新鮮に思ったり、奇妙に思ったりする。分野というフィルターを通すだけで、見えなくなってしまう事柄はかなり多いのだろう。先入観を排して物事を見られるよう、日頃から少し気を付けるようになった。

書籍紹介。見事にバラバラ、それぞれの個性が発揮されたラインナップであった。その中でも特に目を引いたのが、馬淵さんの物理の教科書であった。数え切れない付箋・書き込みに彩られたそれは、一人の人間の歴史・一つの作品と呼んで差し支えない物であった。時間がある時にもっとちゃんと読んでみたかった。

そしてここから先は、件の3つの「キキフク」についてである。 (こちらの二つの記事↓をご参考ください)

プログラムshipⅢ 選書紹介・利き服

プログラムshipⅢ 訊き服・聴き服

まずは利き服から。目を閉じて服を触り、思った事や感じた事を言う。

簡単な事のように思えるが、これがとんでもなかった。

大した感想を言う事ができないのだ。何に着目(目を閉じてるのに着目というのも妙だが)して話していいか分からないのだ。

自分が普段から、服に大して興味を持っていないのだと思い知らされた。特に女性陣との差は歴然であった。彼女等は服の生地や形状から所有者の人物像まで予測していた。

何故そんな事が分かるのかが、まず分からない。自分の中に全く無い回路である。

知識・意識の双方が欠けていれば、何を感じたとしても豊かに言語化することは不可能だと思い知らされた。

そして今、このレポートを書きながら、言語以外で表現する場合も同じだなと思い至った。

次に訊き服。アジア人観光客のふりをしてガンガン試着をする。 自分の意識との戦いであった。購入する気の無い試着に店員さんを付き合わせるのが悪い気がしてしまった。どうしても意識からそれを外すことができなかった。どんどん疲れてしまった。

しかし、ここにも一つの気付きはあった。店員さんから何か言われたわけでもないのに、何故ダメージを受けてしまうのか。

相手に自分の感情を投影してしまっているからだ。私は自分の視線によってダメージを受けていたのだと、時間を置いた今だから分かる。つまりは気にしすぎなのだ。

まあ、それを差し引いても私は表参道が怖いのだが。(笑)

そして聴き服。じっくりとした試着。

着ただけで、とても優しい服である事は分かった。締め付けが無く、とにかく楽で心地良い。着る服を変えるだけで、気分まで変えて生きられるかもしれない。そう思える位に優しかった。

但し、不慣れな形の服が多く、自分にどれが似合うかまではよく解らなかった。似合うと言われてもピンと来なかった。これも知識・意識不足のなせる業であったと思う。

何というか、服に対してのコンプレックスが胸に残った3・4日目であった。

5日目。立本さんのWS。 最も直接的に、私の中間・公開シェアに影響した時間だったと思われる。 自分の中で真実であるならば、芯が通っていれば、一見して意味の分からない事をやっても大丈夫。見ている人を引き込む事ができる。そう思わせてくれた時間。 1回目のトライの時に、意識が内側に向いてしまっているという指摘を受けた。見ている側の視線を引き込む事をもっと意識できた方が良いと。 前述した依田さんの言葉、自己と他者の間にあるものを拾う、との類似性(あくまでも私が受け取った意味の中でだが)を感じた。 それを意識した2回目のトライ。見ている人にはポジティブな変化と映ったようであったし、自分としても手応えがあった。 そして5日目の午後からは、それぞれの裁量に委ねられる時間が多くなった。 宿で、スタジオで、屋上で、街中で、滞在メンバーと会話する機会を多く持てた。 その中で印象的だったのは、似た内容の言葉が皆から出てきた点である。 今回、かなりバラバラなタイプの人間が集まっていたと思う。しかし全員が、何らかの方法で前提条件を取り払い、見ている人と何かを共有できるように、という方向性の事を言っていたように思う。(あくまでもキサラの感想です。もし違っていたらごめんなさい。) よく聞く言葉だが、登り方が違うだけで目指す頂上は同じ、というのがある。目的地が同一は言い過ぎだとしても、あながちデタラメでは無いと実感を伴って思えるようになった。 そしてその通りに、滞在メンバーの中間シェアと公開シェアの方向性も、ある程度の共通項があったように思う。(最後に合流した藤井さんの分については、まだ分からない。もっと話をしてみたかった。)

実際に、私も言葉を使わないという選択をした。言語という前提条件を外したかったからだ。ただし、目に障害のある方・あるいは目と耳の両方に障害がある方にも何かが伝わるよう、意味を成さない奇声・手拍子・足音、またはその振動で聴覚・触覚に訴える事は可とした。それなりにエネルギーだけは出したつもりだが、これはどこまで伝わっていたか全く分からない。自分にできたのは、ただ呼びかけ続ける事だけだ。

見ている人に、何とかこちらに来てもらいたくて、悩む事。観客の主体性を引き出すべく、役者も舞台から飛び出して行く心積もりで、一時でも繋がる事を目指して、右往左往する事。それが、私にとっての演劇である。今回の〈Ship〉で得た、現時点での結論だ。

ただ、その結論よりも重要と思える事がある。それは1週間を通しての自分の変化だ。

私は自分の事を、内向的な人間だと思っている。

横浜に出発する前、他人と同じ場所に1週間も滞在して過ごすなんて大丈夫だろうかと不安だった。

たった1週間で、周りの人間・滞在する街をここまで好きになるとは思わなかった。

自分にこんな回路があるとは意外だった。何がその状態をもたらしたのか。

伊勢佐木町という場所のせいなのか。

旅先であるという開放感からなのか。

集まったメンバーのおかげなのか。

明確な原因は分からないが、お陰で本当に良い日々を過ごさせてもらったと思っている。

芝居に限らず、もっと他人と関わって生きるのも良いかなと、少し思えるようになった。

全日程が終わっての帰路、偶然に牧さんと電車が一緒になった。

別れ際に写真を撮った。しかも自分から誘って。

どんな言葉よりも、この写真に自分の変化が集約されている気がしてならない。

そして後悔している。何故他の皆とも撮らなかったのか。

まあそれは、それぞれの航海を続けて、いつかまた、お目にかかれた時にでも。

今回の縁をもたらしてくれた、すべての方に感謝。本当にありがとうございます。

それでは、また。


【キサラ カツユキ Katsuyuki Kisara】

1982年8月6日生まれ。宮城県出身。中央大学法学部法律学科卒。大学進学を機に上京。学内のサークルにて演劇活動を始める。OBが結成した劇団に所属し2009年まで断続的に活動。その後、長期間演劇から離れる事になる。2014年に帰仙。2016年、演劇企画集団LondonPANDA主催のワークショップ「舞台の入口」に参加。2017年に同劇団の舞台『生きてるくせに』にて活動再開。LondonPANDA劇団員を経て、現在はフリー。主な出演作:LondonPANDA『本性』『ほつれる、闇』、劇団 短距離男道ミサイル『ハイパー★ファンタスティック★ナイト オン★ザ★ギャラクティック★レールロード』。

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