藤井祐希の言葉

◎前書き

演劇を好きになれなかったこと、いま舞台に立ちたいと思わないことに対して、罪悪感がある。俳優としてのわたしを支えてくれたひと、応援してくれたひと、いまでも舞台に立ってほしいと言ってくれるひと、そういうひとたちの思いに応えられないということに対して、申し訳ないという気持ちがある。せっかくひとが望んでくれた道を、いま、わたしは選べない。もしかしたらずっと。だから、ひとが望むように生きられたらよかったのになあ、という未練がある。手放した後悔がある。わたしの人生の責任は当たり前だけれどわたしにしか負えなくて、ひとがなんと言おうとも、わたしはわたしの意志でしか自分の進む道を選ばない。鎌倉ソロレジデンスには定められていなかったテーマだけれど、わたしは第1回目の〈Ship〉に参加してから今回の〈Ship〉IIIを通してずっと、考えていた。いまのわたしにとっての演劇とは、未練である。もうできない、もうやれない、だけどそうあってほしいと言ってくれるひとたちがいる、そうあれたらと思う自分がいる。演劇をやっていた時のこと、舞台に立っていた時のこと、最近は特に、ふとしたきっかけで思い出すことが多い。あの時の自分が考えていたこと、感じていたこと、やりたかったこと……。鎌倉に滞在しながら、公開シェアでなにをシェアしようか、どんな表現をしようか、は勿論、俳優として参加したことの責任とか、いま演劇をやりたくないこと、ならそもそもこれからどう生きていきたいのか、とか、多くのことを考えた。鎌倉には豊かな自然があり、自分の好きなことに矜恃を持って生きるひとたちがいて、滞在した由比ヶ浜の家には孤独と自由があり、猫がいて、とことん自分と向き合えた。同時に、自分で自分と向き合うだけでは分からないことがわたしには山ほどあって、ひとを通して自分を知ることの大切さを改めて思い知ったのもひとつ、大きな発見だった。そうして、鎌倉ソロレジデンスを通して、わたしはようやく、ひとつの結論に辿りついた。いま、わたしが演劇をやりたくないのはもうよく分かったから、演劇ではない表現をしようと、そう思った。鎌倉で様々なものに触れる中で、やっぱりわたしはなにかを表現して生きていきたいと思ったから。それで、わたしは俳優であり続けようとも思った。舞台に立たない俳優が俳優を名乗っていいのかよく分からないけれど、舞台に立たないからと言って辞めなければならないものでもないんじゃないか、と思うから。長くなってしまったけれど、これで前書きを終わります。この鎌倉ソロレジデンス振り返りレポートでは、わたしが思ったことや感じたことをぽつぽつと振り返ります。

◎公開シェアに関すること

自分が思ったことや感じたことを、言葉を使わないでどんな風に表せるのか、ということが、わたしが公開シェアでやりたかったことだった。ひとになにかを伝えようとする時に、言葉を尽くすことは難しいけれど簡単で、簡単だけれど難しい。わたしは特に、喋ることが得意ではないから、そう思うのかもしれない。そうじゃなくとも、自分の考えを寸分の狂いなく相手に伝えることは不可能だ。他のひとのことは分からない。分かるのは精々、自分の言葉がほんとかうそかくらい。

公開シェアでどんなことをするか、実は発表の2時間前まで決まらなくて、鎌倉を発って、若葉町ウォーフに着いてからもずっと考えていた。テーマは「わたしが鎌倉で感じたこと・ 思ったこと」にすると決めていた。架空の個展のアフタートーク、架空のエッセイ発売記念イベント、ラジオの公開収録、誕生日パーティー、お話カフェ、わたしの書いた日記をひとに読んでもらう、といういくつかの案を前日までに考えてきていたけれど、なんだかどれもしっくりこなかった。

なにかを表現する時、作品をつくる時、自分が楽しいと思うこと、面白いと思うこと、納得のいくことをする。妥協しない。表現したい主題を保つ。自分のいちばん深いところをぐっと、ずぼっと。

鎌倉滞在中は、普段はやらないことをしようと決めていた。だから、写真をたくさん撮ることにした。気になったものはとにかく写真に収めた。なにかに使おうとは思っていなかったけれど、最終的に、この写真たちを公開シェアで展示することにした。

写真を撮ることで切り取られるのは撮影者の感性だと思う。わたしが滞在中に思ったことや感じたことをそれぞれの写真のタイトルのようなものにした。

発表場所はラウンジを選んだ。劇場もスタジオもわたしにとっては緊張してしまう場所で、この発表を屋上でやる意味はあまりないと思ったから、ラウンジにした。明かりは間接照明にして、カーテンは開け放って外の風景が見えるようにした。あの空間は、ラウンジという額縁で切り取った、わたしにとっての鎌倉だった。

結局、公開シェアでは最後に少し話をした。写真を展示してそれで終わりでもよかったけれど、それだけでは無責任な気がしてそうした。話さないという選択肢もあって、それを選べなかったのはわたしの準備不足だったなあと思う。

◎鎌倉滞在に関すること

若葉町滞在組は1日のタイムスケジュールが組まれていて、WSなども盛り込まれている。対して、鎌倉ソロレジデンスにはそういうものがなかったので、自由な反面、刺激を自分で用意しなければと焦った。 だからとりあえず、鎌倉をあちこち、巡ってみることにして、滞在中はひたすら歩いた。海沿いから住宅街、神社に立ち寄って路地に入って、たまに水族館に行ったりしながら、暗くなるまで歩き回った。おかげさまで、ずっと身体のあちこちが筋肉痛だった。特に脛と腰が。筋肉痛、朝の目覚めがとにかくだるくないですか?

若葉町ウォーフに滞在したメンバーには、『私にとっての演劇とは何か』というテーマがあった。7日間かけて考え、公開シェアで何かをする上でのテーマだ。鎌倉ソロレジデンスにはその、最初から提示されている明確なテーマがなかった。わたしが7日間を過ごす上で、 いちばん苦労したのがそのテーマを決めることだったような気がする。

鎌倉入りした日に鹿島さんと話して、若葉町ウォーフに滞在するメンバーと同じこと、わたしが前回参加した〈Ship〉と同じことをしなくていい、というようなことを聞いた。俳優が鎌倉に7日間滞在すると何を発見できるのか、何を創作できるのか、それに注目しているというようなことも。鎌倉ソロレジデンスと公開シェアを通して藤井祐希(とその感性)が見えるといい、と。じゃあ具体的には何をすればいいんだろう、と話を聞いても全く分からなくて首を傾げるわたしに、鹿島さんは、最終日にシェアしたいものを発見すればいい、という感じのことを言った。その言葉はすとん、と腑に落ちた。それから、大それたことはしなくていい、という言葉がわたしには印象的だった。

滞在した家はとても過ごしやすかった。カーテンがないというのがはじめは気になったけれど、過ごすうちに気にしなくなってしまったので、わたしのようにずぼらなひとはカーテンのない家に住むのは向かないなと思った。猫のりきゅう君とは段々打ち解けていって、5 日目くらいから一緒に寝てくれるようになり、猫と仲良くなった!と嬉しかった。

誰か派遣してほしいと頼んで、5日目には記録係の馬淵さんに鎌倉まで来てもらった。数時間ほど鎌倉をぶらぶらしながらお話をした。気分転換になったのは勿論、ひとと話すのは刺激になったし、ひとの話を聞くのはやっぱり楽しいし、馬淵さんに話したことで進んだことや分かったことが多くあって、とてもいい時間だった。その日のことは馬淵さんがレポートでもまとめてくれたけれど、馬淵さんにとっても実りがある鎌倉巡りになったと書いてくれていて、よかった。馬淵さん、ありがとうございました。

公開シェアを終えて、わたしはその日のうちに若葉町から群馬に帰った。最寄駅から車で家まで帰る途中、窓から眺めた町並みが見慣れない町のように見えて驚いて、7日間を通してわたしは随分と鎌倉に馴染んでいたんだなあと、その時に思った。

◎鎌倉で感じたこと

滞在中、丁寧さについて気づくことが何度かあった。わたしにはそれが特に印象的だったので、そのとき感じた丁寧さについてまとめた文章を3つ、載せます。

1. ぬかるんだ山道を行く

佐助稲荷神社に行こうとしていたら、少し道を間違えてしまったみたいで山の中のハイキングコースの入り口にたどり着いた。15分で鎌倉駅まで歩けるよ、銭洗弁天にも行けるよ、という経路が描かれた看板が、住宅街から山の中へ伸びる経路の入り口に立っていた。佐助稲荷神社にも行けるらしく、ハイキングコースもいいなと思って、わたしはそちらへ行ってみた。すると、思ったよりしっかりとした山登りコースだった。まず初めの階段がかなりきつい。それでもよいしょと登ってみて、前日の雨のせいで土がぬかるんでいることに気が付く。滑らないようにしっかり足の裏で地面を踏みしめて、一段登る。地面を踏みしめて、一 段登る。こんなに丁寧に地面を踏むことってあるんだ、と驚いた。けれどしばらく登ってみ て、これはいけないなと思った。ぬかるんだ山道のハイキングはわたしには危険だと。だからまた慎重に慎重に地面を踏みしめながら、それなりに苦労して登ってきた階段を下りた。そうして来た道を少し戻って、トンネルをくぐってしばらく歩けば目的の佐助稲荷神社にたどり着いた。鮮やかに立ち並ぶ鳥居を抜けて、沢山のお稲荷様が鎮座する道を通って、本殿へ向かったが、ここでまたわたしは道を間違えた。神社の中で道を間違えるのか?と思うかもしれないが、間違えたのだ。どちらに本殿があるのか分からない分かれ道で、左に進ん でみたらとんでもなく険しい山登りの道が現れた。こんな険しい道を進むのか、とお参りするためには通らなければならない道だと勘違いしたわたしは、そのとんでもなく険しい山 肌を登りはじめた。土はぬかるんでいるし、険しすぎて手すりを掴まなければ転がり落ちてしまいそうだったし、登り終える前から下りが心配だった。そうしてやっと登り終えると、 山の中腹に出た。向こうにはさらに道が続いていて、わたしはとりあえず進んでみた。とりあえず進みながら、こっちは本殿への道じゃなかったんだろうなあ、と流石に気が付いた頃、 目の前にリスが現れてテンションが上がった。もふもふしていた。リスが横切っていった先 の林をなんとなく目で追って、わたしは気が付いた。ここ、もしかして、さっきわたしが行きかけてやめたハイキングコースでは?と。見下ろす景色が、わたしが進みかけた時に見た 景色とそっくりだった。結局ぬかるんだ山道をハイキングしてしまった、と思いながら、来た道を来た時と同じように慎重に戻った。道幅はかなり狭くて、落っこちたらどうしようと怖かった。なんとか無事に山を下り、さきほどの分かれ道を右に行くと、すぐに本殿だった。 なんだか少しだけ、狐に化かされたような気分になった。

2. ソフトクリームを食べながら歩く

ソフトクリーム片手に人込みを歩いたのははじめてだった。土曜日の鎌倉は人が多くて、ただでさえ歩くのが億劫なのに、さらにハードルが上がってしまった。前を歩く男性が片手で 上着をぶんぶん振り回し始めてびっくりしたし、人とすれ違う時には殊更気を使ったし、そうじゃなくとも人は前からぐんぐんやってくるから「このソフトクリーム見えてます?」とすら思ってしまった。わたしは丁寧に休日の午後の人込みを縫って歩いた。あんな風に道を歩くのははじめてで新鮮だったけれど、最終的に立ち止まってソフトクリームを平らげた。どうやら有名らしいお店のソフトクリームは、これもまたはじめての触感でもちもちとしていて、わたがしみたいな味がした。

3. 他人の鍋を洗う

鎌倉ソロレジデンスで滞在した家にはバーミキュラという鍋があった。すごい鍋だということしかわたしには分からないので公式の説明を引用すると、『「素材本来の味を引き出す鍋」理想の無水調理で素材本来の味を引き出す、メイド・イン・ジャパンの鋳物ホーロー鍋』らしい。温野菜をおいしく作れて、お米をおいしく炊ける。せっかくだからと、滞在中にその鍋で何度か料理をした。調理のあとは当たり前だけれど片付けをする。ずっしりと重いその鍋をシンクにおろして、水をかけて、洗剤を含ませたスポンジでこする。なにかを確かめるみたいにそっと、慎重に、鍋の輪郭をなぞる。わたしは人生ではじめて、あんなに丁寧に鍋を洗った。こんな丁寧に鍋洗うことある!?と心の底から驚いた。自分の家のフライパンなんて容赦なくごしごしこするし、友達の家のお皿だって、客室清掃の仕事で洗ったコップ ですら、汚れを落とすことを念頭に壊さないように、なんて気にせず洗う。そこまで馬鹿力ではないと思うので、洗っただけで食器を割ったことはいまのところなかった。けれど、このバーミキュラは、がさつなわたしをびっくりするほど丁寧にさせた。こんな風になにかを洗うことがあるんだなと不思議な感覚だった。

◎あとがき

鎌倉ソロレジデンスでの7日間、わたしはだいぶ遠回りをしていた気がする。そうすることで見つかること、分かること、感じることもあって、もしかしたらわたしはそういう風にしか生きられないのかもしれない。当たり前だけれど、表現の媒体はいくつもある。隣の芝は青い。わたしはいまだ、わたしがなにを作りたいのか、どんな表現をしたいのか、分からない。

それでもわたしは、なにかを作るひとで、表現するひとでありたい。


【藤井 祐希 Yuki Fujii】

1993年生まれ。群馬県出身。2014年に上京し、座・高円寺が開設している演劇学校、劇場創造アカデミーで2年間演劇を学ぶ。修了後2年間はフリーの俳優として精力的に舞台に出演。昨年「わたしはずっと演劇をやりたかったけれど演劇が好きではない」ということに気が付いたため、現在は舞台に立つことは休止中。自分がやりたい表現とは何かを模索している。

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