牧凌平公開シェア

まえがき

中間シェアは、滞在6日目にクローズドで行われた。参加俳優は、場所を選び、それぞれ発表した。最終日の公開シェアでは、事前に告知がなされ、集まったひとに開かれた場で、参加俳優による発表がなされた。全員の発表ののち、記録チームの馬淵を司会に40分程度のトークも行われた。

中間シェア

場所は、スタジオが選ばれた。参加俳優に白紙のA4用紙が配られる。指示が出され、参加俳優は、この滞在での(印象的な)記憶をイメージとして数枚かき出す。このワークの最中に、タオルで目隠しをした牧もイメージをかき出す。参加俳優のかき出したそれらの絵は、空間に「ばらま」かれている。牧は、じぶんのかいた絵を示しながら、どんな記憶であるか説明する。

牧の絵は、目隠しをして、かかれた。「ばらま」かれた、誰かのかいた絵も、牧によって示され、牧の記憶として説明された。目隠しによって、どの絵も、牧には見えないので、絵と説明には、誤差や距離が持ち込まれる。本人にかかれた(企図された)とはいえ、見られていない絵は、その説明と完全には一致し得ないし、誰かのかいた絵はそもそも牧の説明と一致しようがない。

冒頭で、牧は、この一連のプロセスを「旅」と言ってはじめた。なにがかかれたか、それがどこにあるかは見えないので、その試行錯誤が分節化される(それを見る参加俳優が補助する局面としてもそれがあらわれた)。滞在の記憶を、誰かとともにする「旅」の時間に見立て、空間を探す行為から、「旅」の道程を空間化する。時空間の「旅」という見立ては、かたちをかえて、公開シェアに引き継がれる(後述する「クリス」も、この見立てのなかで牧が「存在させている」誰かである)。

公開シェア

中間シェアと同じくスタジオで行われた。あかりはつけず、夜なので暗い室内を、「仮想街歩き」として見る。牧からライトを借りることも可能だった。あたりには牧が用意した絵が、「点在」している。

中間シェアにも登場した「クリス」はここでも登場する。「かれの名前はクリスといいます。クリスはぼくがこの「〈Ship〉Ⅲ」に参加したときに現れたぼくの相棒です。で、この七日間ぼくと一緒に、このクリスは、一緒にいてくれたというと聞こえはいいんですが、コイツは基本的にはぼくの邪魔をしてくる存在でした」と冒頭で説明され、「今日はクリスとお別れをする日」であると言われる。中間シェアでも公開シェアでも、「クリス」とともに発表はすすめられる。

ふたつの発表の違いについて書く。中間シェアでは、絵と説明の間に誤りの余地があった。公開シェアでは、牧の用意した絵がライトに照らされて示され、だれしもが見る。絵とその記憶の説明は対応する。中間シェアで「旅」に見立てられていた時空間が、公開シェアでは「街歩き」とされることが大きくこの違いを示している。「旅」には、牧を旅人とするなら、かれの思い通りにならない(誤りの可能性を保持した)道行きがある。「街歩き」では、牧はガイドとしてふるまった。観客にとって、見知らぬ「街」を、体験させる(ガイドが当然ライトを持っている)。違いはあれど、「旅」も「街」も、「私にとっての演劇」を空間化する見立てだといえる。ここで書いた違いの所以は単に、だれに見せるかが、発表の形式に作用したのだといえる。そのような意味で、キャラクターとしてあらわれる「クリス」とともにあることの位置づけは問われる。「だれに見せるか」が、「私にとっての演劇」の見え(映え?)を形作ってしまうことを越えて、「クリス」のような他者(牧「ものすごくめんどくさいやつ」)はどこにいるのかを問いたい。

「この街には、実際に存在しているものと、僕が存在させているものが混在していて(…中略…)じゃあ、この空間は僕なのか」

牧自身のこの言葉にも響くだろう。

記録チーム 飛田ニケ


【牧 凌平 Ryouhei Maki】

1991年12月14日生まれ。群馬県出身。2015年、慶應義塾大学薬学部卒業。大学時代から演劇を始め、作演や俳優として作品作りに取り組む。2013年、大学同期を中心に「かけっこ角砂糖δ」を旗揚げし、企画公演を行っている。演技、演出についての視野を広げるべく、座・高円寺劇場創造アカデミーに入所し、2017年に修了。現在、俳優として活動しながら劇作、演出も行なっている。近年の出演団体は、重力/Note、ゲッコーパレード、演劇ユニットnoyRなど。嗜む武道は空手道。高所恐怖症。