内山茜の言葉

 2018年8月6~13日の一週間、横浜・若葉町WHARFに滞在した。滞在プログラム(以下、〈Ship〉)が終わって大分日が経つが、俳優として自分と向き合った日々が、俳優としての自分に、そして俳優だけではなく舞踊家としての私にも多大な影響を与えたと実感している。

若葉町WHARFの三階にあるINNから見える風景

若葉町WHARFの三階にあるINNから見える風景

 〈Ship〉への参加時、私は妊娠7ヶ月を迎えており、安定期とは呼ばれるものの体調が安定しない日々が続いていた。そういった事情もあり、

 この三つを個人的な決め事として定めた。わたしの生活態度に他の参加者が何を感じたのかは分からないが、これによって今までにはなかった他者との関わり方が模索できたと思っている。

 〈Ship〉での生活は、他者がいかに分かり合えない存在であるかを痛感した。しかし、この『分かり合えない』は、他者との関係性を考える上で重要な感覚だ。ある種の明るさをはらんだ諦念を前提として、それでも如何にして他者と関係するのかを考えた。基本的に他の参加者とは平行線のような関係性を維持し、時々、ワークショップや対話の機会でふと交差する。必要最低限の接触にとどめたので、これで自分にとっての演劇が見えてくるのか、正直にいうと不安な気持ちでいっぱいだったが、こういった関係性を保ったからこそ『私にとっての演劇』が見えてきたのだ。下記は〈Ship〉最終日の公開シェアで発表した際の原稿である。

わたしは、これまでわたしの身体と向き合って表現について考えてきました。家族がいるけれど、協力してくれる人もいるけれど、ある意味ひとりの活動だったと思います。とても幸せなひとりです。

そしてソロからデュオやトリオ、つまり私以外の他者と共に表現をすることについて考え始めたのと同じタイミングで妊娠がわかりました。今、私のお腹の中にいる胎児は7ヶ月です。たしかな胎動を感じます。

はじめは、自分のお腹のなかにいる胎児の存在に半信半疑でした。存在に対して『怖い』という感情すら抱いていました。愛しいなんて感情はほとんどありません。

これまで、私の体の内側には、私の体を正常に保つために働いてくれている内臓、臓器があり、それらは紛れもなく私のものでした。私の皮膚が覆ってくれてるものは、すべて私のものであると思っていました。

でも、私のお腹には事実、存在を確かに意味づけられない不安定な存在がいるのです。かと言ってコミュニケーションがとれるわけでもなし、病院でエコーを通して確認できる胎児の心拍や奇妙な形をした生命体を確認するだけです。

『奇妙』と『恐怖』、そのふたつの、お世辞にもポジティブとは言えない感情が突如『愛しい』に変わったのは、胎動が感じられるようになった妊娠5ヶ月頃のことでした。

「この子は他者だ。」この言葉が頭に浮かびました。この子が私とは別の人間であることに気付いた瞬間、ひどく安心したのを覚えています。それから現在に至るまで、自分の持ちうる胎動のバリエーションで存在を訴えてくる胎児がかわいくて、愛しくて仕方がありません。

ここまでが、滞在に至るまでの私の経緯や気持ちです。このあとも『私にとっての演劇』についておはなししたいのですが、その前に、ここでShip参加者5人と簡単なやりとりをします。

まずは、私が、ここに座るまでの道のり、そして今ここにいて感じることや思うことをこの紙に書きます。このとき、今の感覚を表現するのに適当だと思う言葉を選んで、且つ直感的に書きます。選んだ言葉は、短くても、長くても、なんでも大丈夫。もし複数になっても、大丈夫。

次に、参加者のひとりが隣に座り、私の言葉が書かれた紙を見ます。そして、言葉を黙読して、それについて関係すること、しないこと、自分が思ったこと、相手の気持ちを想像して思いついたことなど、思い思いの感覚を言葉にしてポロポロとこぼして下さい。紙に言葉を書いた人は、途中でそっと離席します。

話し切ったかな、と思ったら紙を床に落とし、 次は言葉をこぼしていた人が同じ課題で言葉を書き始めます。それを5人分繰り返します。

今日、見に来て下さった方はマレビトのように、ただ此処にふらっと立ち寄った人でいてほしい。目の前で起こる出来事と生まれる言葉を見守っていてください。では、どうぞ。

今回の〈Ship〉は、私が他者と出会うためのチャンスでした。ただ、私は他者とどう出会いたいのか考え、そしてそれはひどく繊細な行為になるだろうと予想していました。だから、よくある“積極的に相手と話しに行く”という一方的である種暴力のような形にはしたくありませんでした。

他者とかかわるとは一体どういうことか。そのために、まずは(私自身が健康でいなければなりません。ひらかれた感覚は健康な生活から始まります。)この場に身を浸して、自分の生活をするというアプローチから始めました。

他の参加者の方とはたくさん話さず、思ったことや感じたことがあればそれを実直に、床にポタポタと落ちる水のように言葉をこぼしました。こぼす言葉は、相手に伝えるためのものとはまた違います。伝達のための整えられた言葉未満の、感覚の言葉です。

参加者の生活、私の生活、日々もくもくと生きることを続けて、時々お互いが交わった間は関わり合う。少しでも間違えれば壊れてしまいそうな距離感を測るのはとても難しかったです。でも、同じ場所に一週間居続け、時々言葉を交換するといった、フワッとした関係性の中で『他者と出会うこと』の実感が湧いてきました。

ここまできてやっと、ここからやっと、私にとっての演劇について話せます。

芸術作品を作る立場の私にとって、表現媒体は正直なんでも良いと思っています。この表現のための最適な分野は演劇だから、舞踊だから、写真でも、絵でも…それぐらいの理由だったりします。

では、なぜ“自分にとっての演劇”について問う場に居るのか。それは、演劇が自分の知らない他者の感覚と出会い、出会ったものを肥やし、またあらたなアウトプットをする場だからだと思います。

他者と出会った故に起こる感覚の受信と発信。それは、感情を発散するような、自分の存在を強く主張するような芝居とはまた異なります。微細な感覚を身体やあらゆる感覚で受け取り、自分の身体の中で一旦肥やす作業をします。そして、自分の中で肥やした感覚を外に表現し、また他者がそれを受信する…その人同士の、ゆるやかなで繊細な感覚の受け渡しが、私にとっての演劇ではないかと思うのです。

(ノートPCを閉じる)

「分かり合えない」。今回の滞在ではそれを前提として他者と接するように意識しています。私はあなたではない。わからない。それは当たり前のこと。理解できない、ある種の諦念を持って他者の存在を了解する。

わたしは他者を、あなたのことを知りたい。

分かり合えない。でも知りたい。そういう願望が私にとっての演劇だと思っています。  

 「他者を知りたい」

 こういった気持ちは、これまで通りの関係性を築く方法では決して湧き上がってこなかっただろう。

 もしかすると、人によってはこの思いが当たり前で、なぜ今更?と思われるかもしれない。しかし、少なくともこれまでの私には『知りたい』という欲求が湧くことはなかった。人とかかわるときは、相手に対し「わたしはあなたのことを知りたがっていて、且つ無害な人間です」という媚びるようなアピールをしていたようにすら思う。振り返ると非常に自己愛的な行動をしていたのが恥ずかしい限りなのだが、自分の中の素直な望みを知った今では、昨年度のソロ活動中にそういった自己中心的な考えがあったのは事実だと認めて、反省をしつつ、そういった行動が必要な時期だったと無理矢理にでも納得しておく。

 『知りたい』という望みが出てきたのは、他の〈Ship〉参加者の行動、態度、時折交わされる言葉……つまり、生活を共にする上で自然と発生した行為に惹かれた事が主な理由だと思っている。無理をしてコミュニケーション的な何かを交わそうとせずとも、他者がそこで生きているだけで自然とその人に興味が湧いてくるのだ。不思議な話だが、この感覚は滞在した者にしか感じられない特有のものだろう。数ヶ月かけて一つの公演をつくることを目標とするコミュニティとは異なり、ゆるくありつつも強固な輪のようなものが参加者同士の間に生まれたと実感している(他の参加者はどう思っているのかはまったくわからない)。

INNの共有スペース。窓際に並んでいるのは利き水WSで使ったペットボトル

INNの共有スペース。窓際に並んでいるのは利き水WSで使ったペットボトル

 では、実際私はどんな発表をしたのか。〈Ship〉では、最終日の公開シェアに加えて、発表前日に内容のブラッシュアップを目的とした中間シェアという時間が用意された。

 私の試みと言えば、実のところ中間シェアも公開シェアも大して変わらないのだが、中間シェアでは自分の身体への興味を存分に確かめさせてもらい、当日の公開シェアではそこに演出的な目線を取り入れて構成した。

 シェアの詳細は、記録係のレポートを見てもらうと分かりやすいので、そちら↓をご覧いただければと思う。

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 中間シェアでは、他者の言葉を私が受け止めた時、自身の中で何が起き、そしてどんな言葉が他者に向けて紡がれるのかを確かめたかった。これまでのソロ活動では、自分が選んだモチーフから言葉を紡ぎだす作業をしていたので、沸き起こる感覚や言葉についてはある程度予想がついた。しかし、自分と全く異なる生き方をしてきた他者からは、全く予想ができず、即興的で、想定していなかった言葉ばかりが発せられる。それでも、私がそれをどう受け止めて、新たな言葉を紡いでまた別の他者に旅をさせるのか、自分の身体を試してみたかったのだ。

 中間シェアが終わり、改めて自分の気持ちと向き合ってみると、『私にとっての演劇』がどういったものかが自然と浮かんできた。同時に、それをどう来場者に伝えるのがベストなのか決めかねていた。

 プログラム・ディレクターからは、公開シェアでは発表を作品化しなくて良いと指示を受けていたが、どうしても来場者に見せることを考えると『私にとっての演劇』の答えをより効果的に伝えたいという演出家のような目線を持ってしまう。場所や照明のぐあい、時間帯、私の身体と観客が共有するさまざまな要素など、俳優としての私が望む衝動とはまた違う視点から『知りたい』という願望を見つめていた。

 〈Ship〉で得たシンプルな望みは、俳優としての私だけではなく、舞踊家としての私の思想にも影響を与えたと言って良い。  後日、今回の滞在を振り返ると、私にとっての演劇を考えたのは、私自身が今後俳優として生きるためではなく私が踊るためであったと気付かされた。

 それは、決して演劇をないがしろにしているのではない。演劇でも舞踊でも『知りたい』は必要不可欠な欲求だと思うのだ。

一切メンバーには隠されていたカッパ。ベッドにいたらしい

一切メンバーには隠されていたカッパ。ベッドにいたらしい

公開シェア直前の静けさ。あえて夕暮れ時を選んだ

公開シェア直前の静けさ。あえて夕暮れ時を選んだ

 〈Ship〉は俳優としての自分、そして演出家/舞踊家としての自分を見つめることができる貴重な機会だった。これまで全く気にも留めなかったような事に興味が湧いてきたり、ずっとモヤモヤしていた事柄がスッと解決したり、さまざまな方面に影響を与えている。

 得たものはとても何気ないほんの小さなことかもしれない。それでも『私にとっての演劇』は、私自身がこれからつくる作品や創作の環境に留まらず、生きることなどあらゆる場面での根源的な望みに成り得ると予感している。

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【内山 茜 Akane Uchiyama】

舞踊家/俳優/演出/振付/映像制作など、分野を問わず活動する。2018年に第一子を出産し、以降子育てと創作の両立のための実践をおこなう。 立教大学大学院現代心理学研究科映像身体学専攻博士前期課程修了。芸術総合高校舞台芸術科卒。人肌くらげ代表。